ひよしくん、 カラッカラに乾いた口でまほうのことばをもういちど。
ラプソディー・イン・ブルー 「日吉くん」 私は名前を呼ぶたびに声が、唇が、胸の奥が震えるのがわかる。君の名前を呼ぶときだけ、都合悪く震える。 「何」 うっとうしそうにも、それでも愛想良くも見えない顔つきで日吉くんはわたしに短く返事を返した。 私は言葉に詰まる。 私の友達は日吉くんと仲がいい。いつも、いつも互いに笑顔でしゃべってる。笑いあってる。(何か魔法でもあるのだろうか) そうやって私と日吉くんがしゃべるようになる日は未来にはもう絶対にない。ぜったいに、ない。 「あー、あの、」 「ちょっとだけ、空いてる?」 私はどうするつもりなんだろう。人気もなく薄暗い非常階段に向かう足にきいてみても、勿論何の返事もない。 足音が二人分、響く。コツコツコツ。日吉くんは今、私の後ろ。 「おい」 日吉くんに呼び止められる。それを被せるように私は不自然なほどの大声で言う。 「さてと、ここらへんでいっか」 私は足を止めて後ろを振り返る。チラリと日吉くんの顔を見てみれば困惑した表情。私はますます日吉くんの顔をみることができなくなる。 「えーと、もうきがついてるかもしんないけど」 無駄に明るい声で私は舌をかまないように、早口で言った。後ろ手に持っていた紙袋を日吉くんの目の前にずずいと出す。 「いろいろ忙しかったからさ、中途半端な日になっちゃった」 日吉くんは半歩あとずさって、そしてやっぱり困惑した表情で紙袋を私から受け取った。 中を覗いている。前髪が微かな音を立てて流れ落ちる。(キレイだ) 「・・これ」 「マフラー、だよ」 手編みのね。 日吉くんはまた顔を上げる。やっぱり眉間に微かな皺。困惑の表情。 「こんな歳になって手編みってのもやっぱりどうかなあとかおもったんだけどね、ていうかそんなの流行じゃないしぶっちゃけそんなの編むぐらいだったらもっといいのかって渡せよってかんじだしね、手編みなんて所詮なんかやっぱりしょぼいしね、っていうかそこまで喋らない女子から手編みマフラーとかもらったって気色悪いだけだよね、って気づけって感じだよね私」 一気にまくし立てる。声は微かに響いて、響いて、響いて、 壁に吸い込まれていく。 日吉くんは口を開いた。 「あの」 たたみかけるように私は続ける。 「あ、そうだ、もうそんなのほかしちゃっていいからね使い勝手悪いし、ね、捨てちゃって、捨てちゃってよ」 「おい」 日吉くんが私の言葉を遮ろうとする。私の肩が震える。 日吉くんがまさに第二声目を発しようとするその瞬間に私は叫び声ともつかぬ大きな声で言った。 「でも誰にもあげないでね!!」 シン、 日吉くんは目を見開いて、さっき何か言おうとしたんだろう、その名残に口を半開きにしている。私は繰り返す。 ちいさなちいさな声で搾り出すような声で。 「もう捨てちゃって。でも、誰にもあげないで、ね」 日吉くんは口を閉じた。顔から滲み出る困惑。 「日吉くんが、捨ててね」 私は回れ右をしてもと来た道を帰ろうとする。日吉くんをのこして。 「、」 私は踏み出そうとした足を元に戻す。そしてまた遮るように。 「あの、日吉くん、ついでなんだけど」 「・・・なに」 私は振り向いた。多分私の顔には何の表情さえも浮かんでない冷たい顔をしてるんだろう。 正面から直視した日吉くんがどんな顔をしているか、何故か解らなかった。 「すきです」 「・・・付き合って下さいとかそういうんじゃなくて、そんなことは寧ろ無理だってわかってるし、だけどなにも明日転校するって日に言わなくちゃならなかったんだろうとかいろいろ考えたけど、でもやっぱり」 私はもう一度正面を向いた。視界がはっきりしなかった理由がようやくわかった。 「私日吉くんのことがすき、だよ」 新幹線の中。座席に腰を落ち着かせて目をつむる。昨日にじんだ涙はまだ晴れない。 彼は今、昨日と同じように変わりなく授業を受けているのだろう。
(昨日私が後ろを向いて走る直前) (私の涙が一粒だけ零れ落ちてしまった後) (いやにクリアな視界の中で日吉くんの耳や目がまっかになってたことは) (きっと私の高望みしすぎな幻影だったにちがいない) 青色の狂愛曲 |