「あ」
古びた万年筆をカタリと置き、侑士さんは敗れた障子のすきまから上を見上げていました。
、来てみ」
その声があまりにも嬉しそうだったので私は洗濯物を取り込む手を休めて小走りに侑士さんの元へと走りました。
「何です、侑士さ・・・・」



あ、
言われずとも解りました。
「虹、虹やで」
七色の橋が私たちの遥か頭上の空を通っていたのです。










大正・薄青・ロマンチッカー










「・・・きれい、」
きれい、その言葉しか出なかった私に侑士さんは声を掛けました。「
「盆に出た虹って何か知っとる?」
いいえ、と私は首を横に振りました。侑士さんはどっこいしょという声とともに腰を上げ、障子を開けると、私の隣に腰を下ろされました。そして私の髪がさも繊細なギヤマン細工でもあるかのように優しく、優しく触れました。
「盆に出た虹を、亡くなりはった先祖さんが渡って帰ってくるんやと」
は、と思い出しました。侑士さんはすこし前ご友人を亡くされたのです。まさに江戸っ子、とでもいうような短い髪の似合う快活で笑顔の素敵な男性でした。「人間は儚いもんやなあ」お葬式の帰り道侑士さんはぽつんと呟きました。今でも侑士さんは泣きたかったのだと思います。その涙を促すことの出来なかった私はずっと侑士さんの角ばっていて、長い指をそろえた手を握り締めていました。



侑士さんはずっと虹を眺めていました。私も寄り添うようにして虹を眺めました。侑士さんはそんな私に気づいてふ、と笑いました。なんとなくどこかがつらそうな笑顔でした。わたしはそっと侑士さんの頬に触れました。侑士さんは少しだけ目を見開いて「どないしたん」と言いました。
そして私を抱きしめました。「あついですよ」苦笑交じりの私の言葉に忍足さんはいやに重い声で言いました。「もうすこし、このままがええ」私も何も聞き返すことなく、それからは侑士さんに身を委ねました。



そのときに気づけばよかったのです。今思い返せば悔やむことばかりです。それでも気づいたからといって当時の私たちにはなす術もないことでした。
侑士さんはあの虹の数ヵ月後、寒い冬からあたたかい春に変り終えた頃。
亡くなられました。あのご親友と同じ、肺結核でした。
涙は出ませんでした。ただただつめたくなったロウ細工のような侑士さんの頬や唇を手でなぞっていました。
周りは私も結核にかかっているのではないかと大変危惧したようですが、侑士さんのお友達であるあの泣き黒子の男性が紹介してくださったお医者様はその可能性はないと言われたようで、皆さん胸をなでおろされたようです。



私は侑士さんのように博識ではないのでよく解りませんが、結核を移された方が良かったのではないかと思います。侑士さんの小説は今となってまたたくまに売れています。皮肉なものです。子供も双子の兄弟が二人生まれました。再婚の話も持ち上がりました。あの泣きホクロの方、跡部様とのです。女で一つで二人の男児を育てていくのは難しいのではないか、と優しくお言いになられましたが私はお断りいたしました。無論跡部様は素敵な男性です。心惹かれるものがないといえばそれは嘘になります。それでも私には侑士さんしかいなかったのです。侑士さんの残した小説は私たち三人家族には充分すぎるほどのお金を今でも与えてくれています。あのやぶれた障子も張り替えることが出来ます。色あせた畳も毎年変えることが出来ます。
侑士さんは見ておられるのでしょうか。哀しくなった時は空を見ます。暖かな淡い青色。



今年の盆もまた、侑士さんが帰ってこられるように私は軒先に向かって如雨露で水を吹きかけます。(小さな虹で渡りにくいとは思いますが勘弁してやってください)