「テニスなんてなくなっちゃえばいい」

そう呟いた彼女の言葉に僕は振り向いてしまった。

























「・・ちゃん?」
俺が彼女を探しに学校を出発したのはつい15分前。
いつも仲が良くて学校公認カップルな南とちゃんが珍しく喧嘩をして、それでちゃんは走って校門をでてしまった。

最初は腹が立っていた南も10分も経てば案の定おろおろし始めて。
挙句の果てには
「スマン、千石!探してきてくれねえかな」
と俺に頼んできた。(そして俺は放課後のマックで妥協した)










彼女が何処へ行くかなんて勿論俺には見当もつかなくてすこし困ったけれど、
とにかく下校道を歩いてみようと思ってたどってみたら、5分も歩かないうちにちゃんは川の芝生の土手でねっころがってた。

俺が声を掛ける前にちゃんは俺に気づいて
「千石くーん」
と俺を呼んで、手をふった。








ちゃん」
「ゴメンゴメン、探しに来てくれたんだね」
「うん、まぁそうだけど、さ」








そこからの会話は上手く続かなかった。
女子との会話のスキルは充分な俺にとってこの沈黙はきっと俺の人生の中で初めての経験だった。ただただキレイなオレンジ色の夕焼けが俺の痛んだオレンジ色の髪を照らしていて、そして彼女のキレイな黒とも茶ともつかない色の髪の毛を照らしていて、俺はそれを見ていることで精一杯だった。










「テニスなんてなくなっちゃえばいい」
呟いた彼女の言葉にハッ、として顔を覗き込む。
「・・ちゃん?」
顔を俯かせていたちゃんは顔をゆっくりあげて、哀しそうに微笑んだ。
「・・・っていうのはムチャだってわかってるんだけどね」








「・・なんでそう思うの?」
俺が聞くとちゃんは悲しそうな表情を崩さずに言った。
「テニスをしているときの健太郎はね、すごく楽しそうなんだ。前にテニスをしている時が一番幸せだ、って言ってた」
「地味なセリフだね」
俺が茶化すとちゃんもちょっと余裕が出来たのかにっこりと笑って
「ふふふ、そうだね」
といった。








「だからね、時々心配になるの。テニスは健太郎を私から取っていくんじゃないか、とかってね」
俺は曖昧な相槌を打つ。
「テニスをしている健太郎を私は知らないみたいで、健太郎が私の知ってる人じゃないような気がして、ちょっと怖いなあ、とか、おもってみちゃったり、・・うん」
「そうかなぁ」
俺の相槌にちゃんは俺のほうを振り向く。
「? どういう意味?」
俺は口元に極力笑みを浮かばせて言った。
「南ね、ちゃんが見てるときはいつもよりもっとはりきってるんだよ。でね、アイツ緊張するの。ちゃんが見てると」








俺は耐え切れなくなってブハッと噴出した。
「ラケット持つ手がプルプル震えてんだもん」
ちゃんも小さく噴出した。今までの悲壮さは最早どこにもなくてただただ幸福そうな顔を浮かべて「そっか、そっか・・」と意味も無く一人で相槌を繰り返して薄く笑っていた。








(俺はこんな顔を見てもちゃんのことを「好きだ」と思ってしまう。)




「ねぇ、ちゃん」
「ん?なあに」








『キスしようか』、という言葉は喉から先へはでなかった。


「・・そろそろ、帰ろっか」








並んで登下校道を歩き学校に向かう。
校門の前で南が夕日に照らされているのが見えた時、俺は咄嗟に『キスしちゃえばよかったかもしれない』となんとも場違いなことを思ってしまった。
南は彼女に力いっぱい謝るだろう。
ついでに俺にも力いっぱい感謝して欲しい。君は俺が彼女をどれだけ好きか、知らないんだろうけれど。