ただいま、と呟いて玄関のドアを開けた。やっぱり家の中はうすぐらくてがらんとしてて、誰もいなかった。誰もいない事がわかってながら、かえってきた時にただいまを言うのはあたしの癖だ。誰もいないって、わかっちゃいるけど言わないと、もっと誰もいない気がして寂しくなる。とんとんとん、と廊下をあがって、自分の部屋のドアを開けた。そしてそのまま、どさりとベッドに倒れこむ。高校進学と同時に買い換えたベッドはスプリングの心地が少しおかしくて、もう寝るときにはなれたのだけど、こういうふうに倒れこむと必要以上に跳ね返りがくる。なんだかベッドに拒絶されてるみたいで、はは、と笑えた。なかよくしようよー。ははは。窓から差し込む光は少し赤い。換気しなきゃ、と上半身を起こして窓に手を伸ばしてカラカラ、と開けるとさあ、とさわやかな夕方の風があたしの部屋になだれ込んだ。カーテンがはためく。あ、あれって。あたしの目に入ったのはクラスメイトとその彼氏が仲良さそうに道路を歩いてる姿だった。クラスメイトはいいこだ。優しくて、自分の意見をはっきり言えて、楽しくて、よく表情が変わって、スタイルもよくって、なにより可愛い。彼氏さんはサッカー部で、かっこよくってこれまたいい人だって聞いた。そんなに離れてなくはないはずなのに、その明るい笑い声はあたしの耳によくとどく。あたしはよせばいいのにその姿から目が放せない。こんなときだけカーテンは、上手い事はためいて二人の姿をかくしちゃくれない。二人の姿が見えなくなって、あたしはカーテンをジャッと閉めてベッドにたおれこんでクッションをぎゅう、と抱いた。









恋人とは、かくあるものであると思う。こうやって楽しく一緒に帰ったりして、たまに一緒に寄り道したり休みの日にデートしたり、そうやって二人でいる時間をゆっくりと楽しく、気持ちよく過ごす、そういうもんだとおもう。というか、思うようになった。中学のとき陸上部で、三年のときはじめて付き合って、陸上部だったあたしは忙しくて、一緒に過ごす時間がなくなっていって、そうして別れた。






今は立場が逆転してるけど、おんなじことだ。文貴は野球部で、今年硬球になったばっかで一年だけって聞いたけど、地区予選も初ながらかなりいいとこまでいったって聞いてるし、何より練習量がハンパなくって、一緒に帰るなんてとてもじゃないけどできない。朝だって朝練だし休みはもちろんない。クラスは一緒だけど、授業中はなによりくたくただからほとんど寝てるし、休み時間も寝てるかノートうつしてるか阿部とか花井とかと喋ってるか早弁してるかだし、ぶっちゃけ接点は全く無い。「なんで付き合ってるの?」って友達に聞かれてあたしは答える事ができなかった。なんで付き合ってるんだろう、あたしたち。「さあ?」って笑って返すことしかできなかったあたしは酷く滑稽。
中学の時も同じだったよ。そうやってずるずるそのまんまひっぱって、会おうともしないで会えなくて、会おうとすれば忙しくて予定も会わなくて。そうして二人で居る時間は少なくなってメールも電話もしなくなって。そうして。そうして。









そう考えると足が震えた。あのとき別れてなきゃ、あたしは文貴と付き合えてなかっただろうから、あのときのことに未練や悔いなんてすこしもなかったけど、でもあのときのみじめでいたくてくるしくてこげるようないたみを、もう二度と味わいたくなんてなかった。
いっそあたしから別れを切り出すならこのいたみは半減するのだろうか。












あのときの言葉が文貴の顔と一緒くたになってよみがえる。
『俺野球のことばっかでのことかまってやれてないよな』
いや、いや


『ごめん、でもこんなのって付き合う意味ないと思うんだ』
ききたくない。ききたくないよ


『だから、別れよう』
やだ、いやだ、いわないで


『ごめんな』
いやだよ。やだよ。あやまらないで。そんなこと、いわないで




















ピーンポーン
「・・・っ!!」


飛び起きて窓を見たら、空はもう藍色だった。やばい、あたし寝ちゃったのか。あれ、じゃあ、なんで起きたんだ、と考えたらピンポーン、とチャイムがなった。そうか、この音で鳴ったのか。のろのろとベッドから降りて寝起きでがんがんする階段をとんとん、と降りる。またピンポーン、となる。お母さんはせっかちだよな・・ほんと。そんなに鳴らさなくっても聞こえてるよ。今行きますよ。っていうか家の電気ついてないんだから普通に鍵使えばいいのに。買い物でもしてきたのかな。スリッパを履いて、何度目か分からないチャイムの音に「はいはい今開けますよー」と一人ごとまでつけて鍵をカチャリとあけて、扉を開いた、ら、
視界が消えた。
がばっ、って抱きしめられたようなかんじがして、このにおいとか、まさか






「あー・・・ひさしぶりの・・・」
「ふ、文貴?!」
なに、なんでここにいるの。どうして。なんでこんなときに、きちゃったの。
文貴は「じゅうでーん」と言いながら、口をぱくぱくさせて固まるあたしを抱きしめている。
「な、なんで」
「あ、そうそう」
文貴がパッとあたしの真正面に顔を持ってくるもんだからあたしは何か悪い事でもしたときみたいにどきどきした。
「な、なに」
「ちょっとついてきてくんない?」
「い、今?」
「うん」















「文貴、」
「んー?」
「・・・公園?」
「うん、公園。」
おおー俺この公園久しぶりだー4月のころとかはよく来たよなあ。その言葉にちくりとする。そうだよ、付き合って始めの4月の終わりぐらいは一緒に帰ることもできて公園とか寄り道して思いっきりブランコこいで笑ってたよ。つったってるあたしをおいて文貴はいつのまにかブランコまで走っていっていた。あたしが見ていると文貴はこっちをみてにっこり笑って「おいでよ」と言う。あたしは進まない足を無理やり動かして、ブランコに近づく。
「はい」
ぽんぽん、と自分が座ってるとこの隣のブランコを叩くから、あたしはしょうがなくそこに腰を下ろす。きい、きいと小さな金属音もあたしにとってはとても疎ましいものでしかない、のに。なんで文貴はこんなとこ連れてきたんだろう。






「俺さ、」
「・・うん?」









「俺野球のことばっかでのことかまってやれてないよな」






聞いた事のある台詞にさっきの夢とか、考えていた事が全部よみがえる。嘘だ。と思う反面あたしは酷く冷静で、やっときたか、って見てるあたしがいた。どこか上の方から、あたしはあたしと文貴を見下ろしているような感じがする。なにもかもがうすっぺらいことみたいで、現実味がなくて、それでなくて酷く次の言葉が恐ろしかった。






「ごめんな、でも」






ああ、これで全てが終わるんだ。あたしはこんな思いすることがなくなって、そしてすっきりするんだ。もう、終わった。終わったけど、でも、いやだよ。文貴。やだよ。その次の言葉を聞きたくなくて聞きたい。矛盾したあたしはおかしい。おかしい、でも、やっぱり、ねえ、いや












「でも、一緒にいられる時間少ないけど、でも俺がいると思ったら頑張れるから」












「・・・え?」
・・今、なんて?固まるあたしをほって文貴は「じゃーん」と言いながら鞄から何かを取り出した。
「夏になんもできなかったでしょ。しょぼいけど、ちょっとだけ償い。これからちょっとずつ返すから、ごめんね?」
「は、なび」
「うん、季節外れだけどねー。夏、とできるかなって思って買ったんだけどできずじまいだから、今日やる」
ほら、ライターももってきてんだぜー。と笑う文貴が、だんだんかすんでいく。あたしは肩とか頭の力が全部抜けて、ブランコに座ってるのがやっとだった。









ああそうか。あたしはあの思いを二度と味わいたくないから別れたくないんじゃないんだ。あたしは文貴の側にいたいんだよ。文貴の心の一番近いところにいたいんだ。真ん中じゃなくていいから、誰よりも何よりも一番近いところに、あたしはいていいかな、文貴。今日も部活だったのに。文貴だって疲れてるのに眠いのに明日部活あるのに。それでもない時間割いてなんとかして、あたしにそんなことで、会いに来てくれたのにあたしはなんで気づかないままばかなことばっかり考えて、あたしは、ばか者だ。












「ふみきー」
「んー?」
「あたしふみきのこと、っ、すごい、うう、すきだ、よー」
「うん」
「あいしてるよ、おー、っう」
「うん」
「すごく大事だよぅ」
「うん」
「あたし、ふみきも同じって思いあがっちゃっていい、かなっあ?」
「うん、俺のことが思ってる以上にすきだよ。あいしてるよ。大事だよ。さわりたいよ。もっと知りたいよ。近くにいたいよ。のためなら、俺なんだってできるから」
真剣に、ものすごい恥ずかしい台詞を言うもんだからいつものあたしなら笑い飛ばすのに、それさえもできなくて目から涙がぼろぼろと零れ落ちた。拭いても拭いてもとまらないから、あれ、あたしおかしくなっちゃったのかもしれない。このままとまらなかったらあたしどうなるんだろう。しおしおになっちゃうかな。でもそれもいいかもしれない。













「・・・ん、?」
「おいで」
よく見えなかったけど文貴は膝をぽんぽん、ってやってるみたいだった。
「や、やだ」
「えー?なんで」
「だ、だってぐちゃぐちゃだもん、かお」
「ぐちゃぐちゃじゃないよ」
「でもや、やだよ」
文貴はちょっと笑って、ブランコから降りて、あたしの座るブランコの前にしゃがんだ。







「ん?」
が言うなら俺さあ、野球やめる。俺なんだって出来るから、が嫌ならちゃんと言って」
「嘘はだめだよ、文貴」
「嘘じゃないよー!」
ぶーと頬を膨らます文貴にあたしはちょっと笑う。
「文貴はさ、」
「ん?なになに」
「ちょっと、かっこいいよね」
「えー俺いつもかっこいいよ」
「それはないよ」
「ええーっなんで!」









野球やめてほしいわけじゃないよ。文貴。あたしが言ってもきっと文貴は野球やめらんないよ。あたしは野球が好きな、文貴がすきだ。たとえ文貴が野球好きじゃなくなってもあたしは文貴のこと絶対変わらずすきだけど、でもすきなのに「すきじゃない」って嘘ついてる文貴を見るのは絶対やだよ。かなしいから。寂しいから。あたし文貴に嘘ついてほしくないよ。









「文貴ー」
「んー?なに」
「ぎゅーってして」
「え、え、ここ外だけどいいの?いつも嫌がるじゃん」
「いーよ夜だから誰も見てないから」
「じゃ、じゃ、じゃあさあ」
「なに?」
「ちゅ、ちゅーもして、いい?」
「・・・文貴はさあ、」
「ん、なになに?(ドキドキ)」
「やっぱかっこわるいよね」
「ええー?!なにそれ!!」
















すきだよ、って呟いたら君のにおいがした。ありがとう、って言ったらおれもありがとう、と言われた。



2007/11/04

プルシャンブルーの空をあげよう