もう5月になる春はなるほど暑かった。
長袖にするんじゃなくて半袖にしてパーカーとか腰に巻いといたらよかったなあ、と思ってぐいっと腕まくりをする。足元のアスファルトは太陽の熱を溜め込んで、暑い。風を感じないので、歩いているだけでじわっと汗が滲む。うーん、これは先にコンビニでも行ってアイスでも買うかな。そう思ったところで日陰発見。しめた、と思ってひょいっと入ったとき、上から声が降ってきた。


ー」


上を見上げるとその日陰はなんとも高級感漂う、おしゃれでシンプルなマンション。見上げると結構見慣れた顔があった。
「獄寺ー!」
窓から下を覗いて手を振る獄寺に手を振り返す。
「獄寺ここ住んでるの?」
「ああ、まあな・・お前何してんの?」
「んーとね、暇だったから武ん家行こうと思ったんだけど、先にコンビニ行こうかなーって思って」
「山本?あの野球バカか?約束かなんかしてんのか」
「んーん、してない。暇だったらよく押しかけるんだよ。一応幼馴染ってやつ」
「ああ・・なんか聞いた事あるかも」
ふうん、と納得する獄寺を見上げて、あたしは言った。
「獄寺も行く?」
「はあ?何でだよ。冗談!」
獄寺は心底厭そうな顔をして手をひらひら横に振った。あれ?武とよくいるとこ見かけるんだけどなあ・・もしかして仲悪かったっけか?ああ、でも嫌い嫌いも好きのうちってやつなのかな?
「ん、じゃあ暇なわけ?」
「うん、ちょうヒマ。」
「宿題は?」
「するわけないじゃん!」
ビッと親指を突き出せば、「いーい心がけじゃねえか」といかにも楽しそうに笑われた。あたしはあまり獄寺とは話した事が無いので、すごく新鮮だ。へえ、こんなふうに笑うんだなあ。いつも眉間にしわ寄せて難しい顔してるからなあ。ってそれは武がいるからか。なかよきことはうつくしきかな!



「んならさあ、俺の髪切ってくんね?」
「(?!)・・・んええ?!髪?!あたしが?」
「うん、あ、ちょっと待ってろ」
まったく状況の読めないあたしを放って獄寺はひょいっと窓から顔を引っ込めた。・・・?髪?よくわからん。聞き間違いだったのかもな、と思ってると一、二分で獄寺が、ガラス張りのエントランスから出てきた。髪の毛を後ろにくぐって、タンクトップを二枚重ねに着ている。


「あっちいなあーマジで春かよ?」
前髪を掻き揚げる姿に、これが初めて見る私服だと気づく。制服でもアクセサリーいっぱいつけてるけど、センスいいなあ獄寺は。ほええ、と半ば見呆けていると、獄寺はうーんと伸びをして、「そんじゃ行くか」と言った。
「えっ?どこに?」
「コンビニだろ?髪切ってる間に読む雑誌買いに行く。昨日帰りに買いそびれたし。あと俺もアイス食いてえ」
「あれ、髪切るって本気?」
「本気」
「あのさあ、それあたしでいいの?」


だって獄寺センスいいしこだわりありそうだし、美容院とかで切るんじゃないの?ていうか、あたし人の髪切ったこと片手で数えるほどしかないよ!自分前髪切ろうとして失敗した時一ヶ月あたし前髪ピンで上げるはめになったよ!おでこさらしてたよ!し、しかももし失敗したら獄寺ファンの子になんて言われるか・・!ていうかあたしだよ。獄寺とこんなに喋ったの今日はじめてのあたしだよ。ただのしがないクラスメイトだよ。そんな女に髪切らせていいのかな・・


「んー、少なくとも俺が自分でやるよりマシだろ。自分だと後ろ切れねえし」
「うええ?自分でやろうとしてたの?獄寺つわもんだね」
「暑いしうっとーしいし、すくだけなら自分でできっだろとか思ったけどいざ鏡前にしてハサミ持つと・・なんか無理、んで外見たら」
「あたしが歩いてた、と」
「そう」
「そんな理由で・・いいんでしょうか・・」
「野球バカとかに切らせるよりは数百倍マシだろ。他に頼める女子もいねえしな」
それはあたしが頼める女子ってことなのか?未だに釈然としないあたしは横断歩道の向こう側にコンビニを見た。












「ご、ごくでらさあーん」
「あんだよ」
「ぜ、ぜったい無理だって!」
「できるできる」


新聞紙を洗面台(っつってもあたしん家のよりきれい!んででかい!高そう!)の前に敷いて、中央に置いたイスに獄寺君が座って、その後ろにハサミを構えて極度の緊張状態に陥ったあたしが立っている。なんかこう、髪を切るんだからあのマントみたいなのって何を代用するんだろうかとか思ってたけど、獄寺君はタオル一枚かけずに「これでいい」ってラフなシャツに着替えただけだった。切った後シャワーして髪を落とすから別にいいらしい。・・うーん、よく、わからんけど、いいのか?


「首にタオルとか巻いたら?シャツの中入ったらチクチクするよ」
「んなもん巻いたら首痒くなったら掻けねえだろ。掻いてくれんのか?」
「うーん・・それは別にいいんだけども」


こんな状況獄寺ファンに見られたら 確実にあたし明日お日様拝めません。武と仲いいだけでもあんましいい目で見られてないのに!
あらかじめ濡らした髪に櫛を入れて、静かに深呼吸した。小さく噴出すが聞こえたので前を向いたら、鏡に映った獄寺の笑い顔。
「緊張しすぎだろ」
「しもするよ!人様の髪の毛だよ!」
せいやー!と覚悟を決めて、綺麗な銀髪を一束とって、大きいピンで上に止める。(すごくいいにおいがした。香水?)またもう一束すくって上に上げて、すっと櫛を入れて、すきバサミを入れた。さく、とか、しゃき、とかどうともつかないすごくいい音がして、それからあたしはとんとんとんとリズミカルに一気にハサミを下に動かす。しゃきしゃきしゃきしゃき。あたしのよりも確実細くて柔らかくてきれいな髪の毛が一気に少なくなった。なんかもったいないなあ、と思って獄寺を見たら、もう雑誌に没頭していたので、なんかもうほんとにいいのかなあ、と思う。既に切ってしまって言うのもなんですが。ほんと。これであたしが獄寺の髪の毛だいなしにしちゃったら獄寺なんて言うんだろうっていうか見とかなくて大丈夫なのかしがないクラスメイト一人をこんなに信用しちゃって いいものなのか?!


もう一度深く息を吸って、無理やり根性決めて、櫛とハサミをもちかえた。












「へえー、思ったよりいんじゃねえか」
鏡を覗き込んで、自分の髪を一束つまんで、おおー、という獄寺。切る前に濡らした髪の毛は、全部すきおわる頃には乾いていた。失敗したら 死にます、みたいな極度の限界状態だったあたしにしては上々の出来だと思う。獄寺は手櫛で髪をといて、「おお、少ない」と感嘆の声を漏らす。ぱらぱら、と銀に光る髪の毛が落ちた。
「っしゃ、シャワー浴びるか」
「ああーつかれたあああ」
どーっと疲労か押し寄せる。人生でもうないわってくらい緊張しました。あたしやりとげました。


獄寺は振り向いて、笑う。
それがすごくやわらかくて、なんていったらいいんだろう?よくわからん。あたしの思考は、どうしてか停止した。






「おつかれさん。ありがとな」






ふわっ、っていうか、なんかそんな笑い方。やわらかくて、今まで全然みたことなくて、うーん、でも、なんだ?わからん。あれ、胸のあたりがきゅーんっていいました。心なしか顔が熱いです。体がぞわぞわーってして、ぶるるってなにかがこみあげてくる。なんだ、これ。あっあとすごくいいにおいがします。さっきも言ったけど。香水、っていうか、こう、香水!っていうにおいじゃなくて、自然な、汗もまじってるけどなんか安心するにおい。あ、ものすごい五月蝿い音がするって思ったら、あたしの心臓みたいだ。もうすぐ飛び出そうなほどばくばくいって、あれ?なんだこれ。ほんとなんだこれ。飛び出そうですよ。しっかりしましょうよ。システムオールレッドですね?さっきまで普通に顔見て喋れたのに、もう直視できない。っていうのはうそだ。穴の開くほど、獄寺の顔見てる。視線が外れません。なんだこれ。やばい。






じゃあねー、って普通に笑って手振って獄寺ん家出て、そんで家かえってご飯食べてお風呂入って髪の毛乾かして寝て、明日武に「あれあたしが切ったんだよ!」「へーまじで!」みたいに普通に話のネタにしようって、ほら、考えてたんだけど。誰に何聞かれても「別に何にもないよー」って笑うつもりだったのに









なんか はじまりそうです









chao, domani!!





2008/04/30