「腹減ったー」 綱吉が黙っていると隣に立っていたはへにゃあといわんばかりに絨毯の上に倒れこんだ。 「腹減った腹減った腹減ったー」 今度はうぞうぞと何かの幼虫みたいに動き出す。先程までの重要な会談が昼過ぎどころか夕方まで伸び、朝からろくに何も口にしていないにとってもう我慢の限界など既に突破していて、もう会談相手は部屋を出払っているので確かにまあ何も問題はないのだが、やはりいい年した女が絨毯の上で突っ伏しているのは少々綱吉にとっても目のやり場に困ったりするわけで、そんなわけで綱吉はとりあえず声をかけなければならなかった。 「ちょっと、立ってよ。俺まだ仕事がいっぱい残ってんだからここにちゃんといてもらわないと困るんだけど」 「だからここにちゃんといるじゃないですかー・・ううでももう限界」 長い髪をだらぁ、とたらし四つんばいにうずくまる姿は不憫どころか不気味の域まで達していて、綱吉はそれを見てはあ、とため息をついた。 「・・・こんなとこ、よく見つけたね」 ジュージューと香ばしいソースの匂い漂う店内に、鉄板を前にして綱吉はそう呟いた。こちらしては呆れを含ませて言ったつもりだったが、は何を思ったのか「そうでしょうそうでしょう」と誇らしげだ。 「ここ、ちゃんと日本人がやってるんですよ。しかもおいしいし」イタリアではこんな味がめずらしいんでしょうね、とにこにこと笑うに綱吉にはもう何かを言う気力はなくなっていた。銀色の金属製のへらを手にとって、目の前のお好み焼きを押さえつけようとすれば、「ああ!だめだめ!押さえたらだめなんです!」「ああ・・そう・・」 さっきまで死のオーラさえ漂っていたがイキイキしだしたのと反比例に鬱々とした綱吉を見ては首をかしげる。 「どうしたんですかボス。おなかすいたんですか?あ、これもうできてますよ。どうぞ」 は一口サイズにひょいひょいと器用にお好み焼きを切り分けて、綱吉の前の鉄板に並べた。 「お腹すいたんですか、じゃないよ。全く」 ぱきん、と軽い音をさせて割り箸を割る。 「俺に期限ギリギリの職務を放棄させて己の食欲を満たそうとするなんていい度胸してるよね」 「お腹をすかせた愛らしい無垢な子犬に施しを与えるのは人間としての義務ですよ」 「どこに愛らしい無垢な子犬がいるっていうのさ」 「ここです、ここ、ここ」 自信満々に自分の胸を指すに綱吉は最早返す言葉さえなくなった。 「でもボス最近なんだか鬱々してません?」 お好み焼きをへらで口に運ぶに、もくもくと食べ続けていた綱吉は顔をあげる。 「そう?してないよ」 「マリッジブルーですか?」 「そこは素直に婚約おめでとうとか言えないのか」 「私にとっては全くおめでたくないですから」 水の入ったボトルをコップに傾け、顔を上げたは淡々と「ボスもいりますか?」と掲げた。 「いや、いいよ」 「そうですか」 「・・何を怒ってるの」 「だってなんであたしじゃないんですか」 「いやいや、なんでそこでそんな発想ができる」 「あたしに無くて京子さんにあるものってなんですか」 「理論的な行動とか人を労わるやさしさとか他人に対する譲歩とか落ち着いた態度とか純粋な心とか?」 割り箸を振ってつらつらと並べ立てる綱吉には恨めしそうな視線を送る。 「じゃあ仮にそれを全部持ってるあたしと結婚する確立は?」 「0%」 「だめなんじゃないですか」 「だから言ってるだろ」 店員に御愛想を告げても頑なに自分の財布を出そうとしないに綱吉は何度目か分からないため息をついて、店員にカードを差し出した。受け取った店員は驚いて俺とカードを見比べる。もう慣れてしまった自分が実は、恐い。 あたふたとカードを返す店員に少し笑みを浮かべて、店を去った。 帰り道、ゆったりと二人並んで歩く。若者二人、空は徐々に暗んでゆく。お互い口を利かない彼らははたから見れば初々しい恋人に見えたかもしれない。 「ねえボス」 「なに」 「あたしにあって京子さんにないもの、ありますか」 綱吉はポケットに手を入れた。 「あるんじゃない、色々」 「例えば?」 「自分の上司で他人の婚約者に結婚迫る図太い神経とか」 は綱吉に向かって蹴りを入れる。綱吉は前を見たままひょいとそれをかわす。薄らいでゆく長い影をそっと見つめた。
2008/01/06
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